2007年5月30日水曜日

Twitterのすごさ


書こう書こうと思ってほったらかしにしたら、ここまで広がりを見せるニュースサイトやらブログ。あえて書かないってのも手なのだが、どうせならと言う事で書いてみる。

連休明けあたりから使い始めてる人も居たので、私もはじめてみたのだが、はじめるまでは「IMの二番煎じ」やら「連続更新のブログの代替に何の希望があるのか」と、ネガティブにしか思っていなかった。感覚としては、ここの感想と一緒だ。

が、使ってみて、「何がすごいのか」「なにが心地よいエッセンスなのか」などなど思ってみたりしてみた。そんな考えの下、ポイントとしては、「広がり」「ライブ」「成熟から」と言ったところか。


1.広がり
広がりについては、3つに分類できるか。
a.クライアントの数
これについては、「第4回 厳選40!Twitter用ツール・サービス大特集 : gihyo.jp」を見ていただければ、その数の多さに驚くというか、なるほどと言える。

記事中のジャンル分けを借りると、Windows用クライアント、Mac用クライアント、携帯電話用クライアント、WindowsMobile用クライアント、ブラウザ用プラグイン・拡張機能、ウィジェット用クライアント、その他スクリプトといったところか。これ以外にも有りそうだし、このリスト以外にも膨らみ続けてそうな気もする。


b.ユーティリティー群
この分け方、色々と問題はありそうだが、API公開での派生物と言ったところである。クライアントに含まれている「その他スクリプト」の部類でもある。
実際には、時間割り風に表示する奴やら検索なんかもそうである。

Twitterを元にサービスを展開したものである。ちなみにgoogleなどで検索した場合、特有のキーワードを打つとTwitterのデータが表示される。いいのか、悪いのかはしらないが、ブログの結果検索より、たちが悪そうだ。


c.マッシュアップしたサービス類
こちらは、2つ目で上げてる物とは別で、データの流れやノリ、空気が似ているのだが、機能として足らないのを補完し、結局は似てるんだけどサービスとしては独立してるもの。

探すのもメンドウなので、ニュースサイトや検索サイトで「版Twitter」や「Twitter風」と検索すれば、それらしいのが出てくる。


2.ライブ
ライブとは、携帯から連続して投稿、更新するブログやユーザーが限られるIMにも言えるのだろう。別視点で言えば、生放送で葬り去るラジオ、テレビの生中継なんってのもライブだ。テキストのみだが、Twitterも書き方、テキストの制限が、あえてライブ感覚というのを引き立てている。

けど、1ユーザーがカメラ、マイク、中継ユニットを担いでショービジネス的に生中継という事もできなさそうだし、写真を撮っても、連続した動作の中でアップすると言うのもライブになら無さそうで難しいような(ひと手間になってしまう)。まあ、分業にはなりそうだ。限られた制限が、たまたまフィットしたのだろうが、規格、制限の器はなかなかなものだと思う。


3.成熟から
最初に思っていたこと「既存にあるよ」と言うことや、日本国内から見れば、疑問に思う制限(ショットメッセージとケータイメールの差)を見ても、目新しさを感じなさそうなのだが、広がりライブ感覚、それとこの成熟からの用途への応用というべきか、そんなところがすごいのかもしれない。


けど、すごいからと言ってmixiやモバゲー並にユーザーが付くのか?と言えば、もうちょっと超えなきゃいけない壁と言うのが在りそうなのと、Twitterの制作サイドの思っているコトを踏まえると、APIを利用した商業サービスを展開しても怒られなさそうだな...と思っているのだが。(この動画の開発者のインタビューを見ていて)

と、電車の車内広告を見てて、モバゲーの力の入れようはすさまじいですな。なんでQRコードを付け加えないのだろう。(満員電車でQRコードをカメラで取り込む人が居るからかかも知れないけど...)

守秘を貫く政治家の自殺


ブログにて自殺をテーマに選ぶのは墓穴なのだろうか。そんなことを思いながら、前松岡農水相の自殺を迎えた。前松岡農水相の自殺に関する記事はブログにてかき集めることも無く、特集として組まれているので、政治への追求、追うつもりは無い。

この場で追えそうなのは、事実の検証ぐらいだろうか。先日書いた内容から、統計上のポイントとしてあげてる、「男女比は男性が多い」「単身よりも家族形成あり」「休日明けの月、火、水の午前中に集中」に見事合致というところか。

合致したからと言って、大きく取り上げる話でも無さそうだ。いい年から女性になることも、単身になることも、休日明けを迎えないことも不可能である。が、唯一手が出せそうなところは、「休日明けの気持ちをどうにかしてあげること」はできそうだ。

前兆らしきものやその経過で疑問に思う点、それについての助言などが見受けられる。でも、良い休日を過ごし明け後の普通な日に戻るにはどうしたらよいものか。なんって視点で見始めると、程よいがんばりと、無理をしないは、政治家さんに圧し掛かる守秘の重さからすれば、簡単につぶされそうだ。

政治と言うのがどこまでも重いのかと言えば、それはその人の経過しだいと思っていたのだが(個別で違うと言う事)、一個人の生活、事業がどこまでが公で、どこまでが私なのか、はっきりさせる事は難しいと思うのだが、区別するように努力するしかなさそうと思ってみた。

2007年5月27日日曜日

すくえるイノチ、すくえなイノチ


注意事項
自殺が、「すくえるイノチ」なのか、「すくえないイノチ」なのか私は知らない。けど、それを取り巻く遺族は大変である。不意の事故、入院、単純に人が亡くなると言うのも大変。が、理由あれ無かれ、唐突に絶つと、亡くなる以上の数倍は大変だ。


これまでの話からすると、がらっと舞台が回転、堀ちえみが歌いだす8時だョ!全員集合というところか。


重いタイトルを扱うのだから、なにかあったのだ。ことの始まりは、このドキュメンタリー:秋田放送:よってたもれ~命をつなぐ一杯のコーヒー~を見たからだ。けど、地方発のドキュメンタリーなのと、早朝に近い深夜であったので、気にもせずチャンネルを変更するか寝るかのどちらかしかなかった。


が、なぜか打ち勝ってしまったこのドキュメンタリー。話のスタートは、統計上の自殺率ワースト1、秋田県と言う立場から始まった。制作というかドキュメンタリーのテーマとして、テレビ局として、どんなフォローするのか、それとも効果なく、改善もないまま踊るのか、そんな一組織よりも地域、街は今どうなっているのか。そんな様子がうかがえた。

見た感想として、この内容はドキュメンタリーに適した内容だ。このドキュメンタリーの走り出しにある「自殺率ワースト1」。そうでなければ、当然このタイトルの選択は無いだろうし、仮に在局や他県のテレビ局が作るには重過ぎる。しかも在局ならば簡単に飛ばされる。それだけこのドキュメンタリーの条件、完成度が高いのだと思ってみた。


そんなドキュメンタリーは、自殺率から話は始まり、男女比は男性が多いや単身よりも家族形成あり、休日明けの月、火、水の午前中に集中するとか。なぜ、そんな条件が該当するのかと言えば、休日明けや連休明け後の急激な寂しさには、「さよなら」しか言葉がないのかもしれない。と当人には思えたのでしょうか。

1.男女比は男性が多い
2.単身よりも家族形成
3.休日明けの月火水の午前中に集中


しかし、そんな重い事、いやつまらぬ事は、なんらかの解決が待っている。それがこの番組のポイントでもあり、主人公の方、袴田俊英さんである。解決策とまでは言わないが、日ごろの話はこちらでも追える。


ドキュメンタリーは、その後、自殺とは直接関係ない要因、間接的に関係してくる事件に話が進む。その後は、なにかで見てね。と言う事にしたいのだが、これはDVDや何かお手軽に見れる方法が提供されるのだろうか。

テーマとしみれば、自殺する人、残された人以外には、正直、興味も無ければ葬りたい。番組中の言葉を借りれば、一般的に考えて自殺をタブー化する傾向が強いのだから。どう取り扱うのか見守りたい。

2007年5月14日月曜日

書店とジュンク堂


数日前にジュンク堂へ行って見た

きっかけは、カンブリア宮殿:テレビ東京にて放送した社員の個性で売りまくれ!の回。番組内では、専門書が売れているなど何個かポイントがあったはず。それ以外にも、はてブやその先などでも絶賛やすごいという話を見かける。

そんな話を流し聴きしながら、再販制度で保護されてる状況下で露骨に落差が生まれないのだろか。なんって事を思いながらジュンク堂へ。


行って見た感想

批判的な前段階の感想を持ちながらジュンク堂池袋本店へ行った感想。
各フロアーごとの万引き発生率が知りたい
立ち読みされる本と購入される本の見分けがつく
本棚を見てジャンル、タグ付け、並びの重要性
なんとなく図書館ぽいレイアウト

そんなところ。


その後検索にて、そんな思いの結論やら感想がないのかと思い検索してみた。

「読者の選択能力に任せる店」:谷平吉の出版流通コラム
このコラムの中に、「「図書館以上に図書館」というようなキャッチフレーズが垂れ幕となって外壁にありました」とある。あったのかは確認してないが、結果そう感じた私が居るのだからアタリ。いや、その通りになっているのだろう。


「書評 - 図書館に訊け!」:404 Blog Not Found
図書館と聞いて、図書館とはなんなのか。そんな事が気になり、書評家でもおなじみなのか。こちらで紹介されていた書籍を70%前後読んでみた。
そこらにある書店とジュンク堂の差、違いは、書評の中に記載されてた。その違いとは、「検索しかできない書店か、探索できる書店」だった。


検索と探索

検索は、ある程度大きい書店であれば、店舗内に設置してあるPOS端末や検索用端末、利用客の多いところならば、キオスク端末なんかが設置してある。インターネット上には、検索端末の延長上なのか、それを背景にしたamazonなどがある。

探索となると検索とは別で、ジャンルわけされたカテゴリーなどを利用して検索していくわけだが、amazonでもその補完をしている。けど、そんな補足も決定的に違うのは、実物が存在するかしないかの差は大きい。

最近「見える化」なる言葉がビジネス誌、IT雑誌などで見かける。それである、可視化である。ジュンク堂の在庫を見ていると、流通してる古めの本から新刊まで並んでいるし、専門的書籍の棚は、流通書籍販売の中では濃厚になる。

そんなところから、本の厚み、書籍デザイン、タイトルを見ながら選べると言うのは、amazonやらジュンク堂書店以外だと難しい。amazonも本の寸法やページ数を記載しているが、実際に見るのと、数字だけの表示では、差が激しい。


指名買いをするとなると話は別で、amazonでも近所の書店でも、近所に大規模な書店が無ければ、一駅でも二駅でも移動して、店員に聞くなりキオスク端末に聞くなりして、それを買って帰ればよい。

私も、ブログなどの書評を見るか、それ相当の出版社が発行してる本をamazonで検索し、ISBNをケータイに送信。送信後、大きい書店のキオスク端末で、検索を経て購入となってる。



ジュンク堂は図書館なのか

市町村の運営する図書館からすれば図書館以上。大学や専門性の強い図書館からすれば、図書館以下である。とは、図書館に訊け! (新書) から

ジュンク堂の売上げを見れば、市町村の運営する図書館以上でビジネスとして成り立つ。見方変えて、市町村の図書館やその他書店は何を目指しているのだろうか。

そんなのが、三洋堂書店の社内報 社内速報299号の「店数を増やせば商品管理レベルが上がる仕組み」と言うのが象徴してるような。

先日、アップル株主総会に関する記事を読んだのだが、最後の最後にこんなことが書いてあった。「「お金を出すだけで素晴らしい製品を開発できたらどんなに良いだろう。もしそうならMicrosoftは素晴らしい製品を開発している」とJobs氏は語った。」

出展数とお金、からむのかからまないのかは書かないけど、出展数が増えて品質が上がるとあれば、三洋堂以上にジュンク堂は売上げを伸ばしそうだ。

そんなことを思いつつ、ジュンク堂では一冊も書籍を買わなかったのでした。だって1冊買い始めると、多分10冊ぐらいは買いそうなので。

2007年5月11日金曜日

ネットワーク外部性に関するメモ


とは言っても所詮独り言

ネットワーク外部性の前にネットワークとはを考える
たまたま行った書籍にて、「ネットワーク」とジャンルわけされた経済コーナーにて、アムウェイを思わせる書籍が

アムウェイがいいのか悪いのかわからんが、何年か前に昼飯で入ったお店の片隅に、アムウェイの箱が置いてあった。が、ぱっと見いい思いはしなかった。

組織内に働きかけるのか、外部に働きかけるのか。根本的な違いはそこなのだろう。てなことで、「直接的効果」と「間接的効果」のお話はおしまい。


LANやらインターネットのネットワーク
どこぞの論文を拝見すると、事例にTCP/IPが出てきた。ちなみに経済を追求した論文だったのだが。なんか勘違いしてないか。あなた。

てなことで、同じカタカナ表記の言葉なのだが、扱う単位が違うことを思いながら、触らないといけない。


ポイント
ネットワーク外部性という言葉で検索をかけてみていると、単位があやふやである。ネットワークと言う言葉が、とある物事の単位でしかないのかなと思えばなおさらである。

評価して今ある物事や次への一本に使う道具とした単位であれば、“クリティカル・マス”と“ロックイン”をフォローしろという話か。

が、クリティカル・マスにしろロックインしろ何を扱いかで単位は膨大に大きくなったり、下手すると小さくなる。

最近はじめた、twitterからみるクリティカル・マスから言えば、タレントブログや携帯からの短時間連続投稿を効率よく処理するには最適のtwitterである。

そんな見方の反対に、作業内容を随時書き込むってのは、ベンチマークを勝手に取ってるのと一緒で、ちょっとした工夫さえすれば、業務日報になってしまう。

ロックインに関しても同じ見方ができそうだ。ブログを構築するのに、Movable TypeやWordPressがあるけど、feedになってしまえば、どれも一緒。

いや、feedに対して何ができるのかが、ロックインの重要な要素なんだと思う。


写真は...

先日、国内だと新宿にしかないドーナッツ屋に並んだときの写真なのだが、5店舗も新設したら、ビジネスモデルが破綻しそうだと、ドーナッツを食って思ってみた。

2007年5月9日水曜日

日本に欠けている「三種の神器」


日経BPの気になるコラム、多田正行のCRM Watchdog:ITproから、気になる「三種の神器」を抜粋してみる。話の流れとしては、マーケティング・コミュニケーションの「三種の神器」:ITproと、続・マーケティング・コミュニケーション「三種の神器」:ITproからである。


記事は、最初に「マーケティング・コミュニケーション「三種の神器」を揃えていない」と書いてあり、1.書籍などの刊行物、2.展示会出展、3.Web上のバーチャルセミナーとある。

率直、このキーワードを読むと、適当なPC、IT系雑誌、総合的な展示会場、情報開示とまで行かない会社案内をモチーフとしたサイトの山を思い浮かべる。経験上、これはよいと思ったのは、展示会ぐらいである。

そんな、空っぽの頭から、そんな3点を掘り下げてみる。
#この話を読む前に、リンク先内容を確認してください。あまりにもくだらなすぎなので(w

1.書籍などの刊行物
書いてる人ができる見方は2つぐらいか。1つは、解説書、専門書。もう一つは、某科学雑誌の囲い込みと運用に仕方。

まずは、解説書、専門書について。これは、本屋さんに行けば簡単に答えの得られる話なので、そこそこ大きい書店に行けば、体感できる話である。ざっと見渡すと、メーカーが根回しをした書籍や、ほぼ陳列してる本の大半に当たる初心者向け本(これはこれで重要だと思うのだが)。あとは蓄積されてなさそうな専門書というところか。

これについては、書店に並ぶ書籍を見渡すと物足り差を感じるのと、上手に蓄積された、シリーズ化、定番化されてるものとして、オライリーの本、動物本ぐらいしか記憶に残ってない。書籍のなどの構造を売文生活:ちくま書房を読んで推測するに、雑誌も書籍も上手に蓄積されてないような気がしたし、それに気づかずに陳腐化する雑誌、書籍と思ってみたのだが。


上手に、いや効率よく出版物を回転させるには、それなりなノウハウやら管理の仕方がありそうなのだが、これと言って、そんなことを注意してくれる書籍も無ければ、考え方そのものが押しつぶされてる。としか思えない。

ここで登場するのが、2つ目の某科学雑誌を発行する会社である。これ以上特定できることは書けないのだが、ちょろっとお手伝いすることがあり、英、日のドキュメントをにらめっこしてみました。

基本的に論文の延長なので、ドキュメント管理、引用など、当たり前にプラットフォーム化されているし、構造もそれ様にできている。もっと簡単な所で確認するには、Google Scholarにて適当な学術用語を検索し、その結果を見れば一目瞭然である。


まとまってるのか、まとまってないのかわからないのだが、そんな違いを感じる。簡単に言えば、高くても売れそうな本を出版する会社がわんさかあっても良さそうだし、ジュンク堂のような独自、独特の陳列に対応できる書店やサイトがもうちょっとあっても良さそうだ。


それと、事例集とまでは言わないが、気の利いたカタログや自社の白書、ホワイトペーパーは、国内では、これと言って良いと思った事は一切無く、最初に就職した外資のソフトハウスで見た英文の事例集、カタログ、白書が記憶に残る。

今の時代に紙にて出版する意味合いと言うのに意味があるのか。なんって事を考えてしまうのだが、結局は会社案内は必要だったり、そもそも名刺だって今のご時世にも残っており、有意義に活用されている。

それの代わりに気の利いた事例集やカタログは、サイトで補えるのだろう。けど、これ良いねと思えるものは、テンプレートを作って、紙にして配布しても効果はありそうだし、元ネタは、blogtoolでゴミのようにつくり、輝く何個かは、出版して良さそうだけど。

それと、基準として、Adobe IllustratorやInDesignでテンプレートを作るのだろうけど、複雑とまでは行かなくてもそれなりなつくりになるかと思うのだが、PDF化もあるのだからコピペした場合、きれいにコピペできる構造であることがよろしいかと。(htmlで言うところの、TABLEタグかCSSかの違い)



2.展示会出展
何を目的に展示会に出展するのかは、扱う物によると実感する。ラックや受注生産品の展示を効率よくやるには、メーカー、見に来る人共に展示会という場は、相当効率が良さそうに見える。このことを判って展示会に出展するのであれば、いい金額であっても選択するのだろう。

反対にそれ以外になると、展示会場で見かける受注生産されたソフトウェアなどのHTMLのソースを見ると、力の入れよう、顧客ジャンルなどが簡単?に見抜けるので、本当に展示会という場に出展する意味があるのか、これは考え物である。

どちらかと言えば、小、中規模にカンファレンス、もしくはそれ同等のことをした方がよいのかもしれないし、展示会に出るのであればそんなシナリオのある展示場を作るべきであろう。(それでも人のいない展示場ってのもあるので、あれはあれで考え物だけど)

展示と言うよりは、効率よくデモをするにはどうすればよいのか。物を売ると言うよりサービスなら、そうした事も考慮しないことにはなにもはじまらない。(ただ、PCの並ぶ展示会場は寂しいだけだし、ぼさっと立ってる人がさらに寂しさをかもし出している)


ユーザー・コンベンションに関しては、何一ついい思いが無い。いい思いが無い以上、これと言ってあーだこーだーといえない。反対に言えば、自社製品のユーザーさんの意識を底上げするような(本当に底上げしようとしてるところを知らない)所にお目にかかりたいが、かかったのは、YAPC::Asia 2007 Tokyoぐらいだろうか。

サービス業の出展も大規模に場所を確保して展示する理由と言うのがあるか。と思うのだが、ホテルの一部屋を確保して食い放題のカンファレンスを(開催日はもちろん大型出展会のすいてる数日のみ)してみてはいかが?と思うのだが。双方に濃厚なカンファレンスになりそうだけど。


3.Web上のバーチャルセミナー
リンク先を読んだ感想としては、第3のビールならぬ、書籍、カンファレンスを補完するもう一つの矢なのでしょう。プラットフォームが違うだけで、Web上で何をするのか、いっぱい良いことも悪いことも経験してれば、それなりに組み立てできそうだけど。

最近と言うか数日前、コールバックを採用したコールセンターの話を別な所で書いてみたのだが、事例や構造などを調べていくとCiscoのIPCCしかなかった。このご時世、blogやらなにやらで簡単にコンテンツは生成できても濃厚な話は何一つない。

Ciscoの場合、ルータ周りの情報からすれば、これでもかというぐらい情報は少なく。「Cisco IPCC 代理店」:google 2007/5/8しらべ と入力しても4件目に1社出る程度である。もっと濃縮すれば、IPCCになった理由も、オプションとしてコールパックモジュールがあるだけでの話しで、その実装方法、用途、効果などは何一つわからずじまいである。

根本を突っつかなくても売上げは右肩上がりだろうし、これといって策を打たなくても問題はなさそうなんだろうし、そもそもそこまで構ってられない構造なんだろうな。

2007年5月8日火曜日

それでもPDAなの


いまさらながら、日経エレクトロニクスのバックナンバーを湯船につかりながら読んでみる。

その号は、W-ZERO3は8ヶ月で出荷されたと言う事で、ウィルコムの方、シャープの方などのお話を交えてドキュメンタリーチックにつらつら書かれていた。詳しくはこのリンクなのだが、詳細は購読でもしてくださいな。

再度、どの用事の状況や今の状況、今の自分の興味などを読み重ねてみると、PDAが欲しいのか、それに変わる何かが欲しいのか。いや、ケータイにはない何かを求めているのか。そんな事を思いながら、そこそこ熱めの湯につかるのでした。

しかし、何年経っても思うのだが、PDAは自分には必要ないと思う。最近のケータイも必要ないし、だからとって、1k~2kもあるPCを担いで行動をする事も望まない。必要と在ればどうにかするのかもしれないけど、こんな記事を読むと、そんな隙間を縮ませる何かはあるのだろう。


つい最近来日した友人に、「米国視点でのBlackBerryとは」と質問したところ。「政府機関でのメールシステムがこれ」と言われた。100歩譲って、何らかのメールシステムがあって、同等にメールシステムが動いているのであれば、日本国内からなんとかの蛙な情報なのかもしれない。

他の情報源として、CBSドキュメントデザイニング・インターフェースなどで拝見する機会があったけど、こちらは「グループウェア上の情報を効率的に見せるには」と言う視点が先立っていた。


話戻って、W-ZERO3の開発記の内容なのだが、そんな視点からすれば、まだ枯れ具合は若芽が出たところと言うところか。いや携帯にしろ何にしろまだまだ若芽、いやケータイと言われてしまう携帯電話、PDAといまだ言われ続けるPDA、いやジャンルとしてあり続けるPDA。

そんなところが若芽なのかもしれない。って、そういや5月なのね。